「教育勅語」道徳に「ウソをつくな」は無い!?

皆さま

 こんばんは。増田です。

 10日付朝日新聞「声」欄に元都立高校の先生の、短文ながら、仏教や聖書の普遍的な道徳と対照させて鋭く「教育勅語」道徳の偏狭さを批判する投稿が載りましたので紹介します。この方は都教委の『日の丸・君が代』の強制に反対して処分され闘ってこられた先生でもあります。

 私は、この投稿を読んで「目から鱗」でした! 安倍晋三首相・稲田防衛大臣・菅官房長官等々「もり」「かけ」問題で平然と嘘をつきながら「教育勅語」道徳を「道義国家」を目指すものなどと高く評価する精神構造をスッキリと分析できなかったからです。

 この投稿を読んで気が付きました! そうです! 「教育勅語」道徳には「ウソをつくな」という徳目は無かった!?(笑)…いえ、笑ってはいられない…強大な国家権力を握る連中の、「殺すな」「盗むな」「うそをつくな」「淫行するな」の四つの根本道徳が無い「教育勅語」道徳を推奨する精神構造から繰り出される政策は、甚大な被害を人民に与えてしまうのです…

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「教育勅語」切り売りは無意味
無職 花輪 紅一郎 (東京都 67)
 「殺すな」「盗むな」「うそをつくな」「淫行するな」の四つは、仏教の五戒と旧約聖書の十戒に共通する徳目であり、万古不易の人の道の基本と言っていい。

 近頃、「教育勅語」には時代を超え、世界に通用する道徳があると持ち上げる人たちがいるが、この四つが含まれていないことをご存じだろうか。逆に、勅語の1丁目1番地である冒頭の「君への忠」をなぜ無視するのだろうか。

 教育勅語は「君への忠」から始まり、「皇運扶翼」まで一貫した徳の体系の中に他の徳目を組み込む構造になっている。「兄弟仲良く」したり「学を修め」たりするのは何のためか、究極の目的を抜きに個々の徳を切り売りしても意味はない。勅語の核心は、すべては君のために命をなげうつ忠誠心を持った人になることだ。そこに「殺すな」や「盗むな」は入り込む余地はなかったのだ。

 もし人命尊重や略奪禁止を掲げていたら、侵略戦争や日本兵の残虐行為はなかっただろう。人の道の基本を抜きに、天皇への忠誠心のみを求めた勅語の過ちは戦後反省したはずだ。私は高校で倫理を教えていた。道徳に「殺すな」「うそをつくな」は欠かせない。