■3 九段中ノムヒョン大統領への手紙事件=第二次攻撃
   (2005年7月〜)


Q1 問題にされたプリントの文言とは?

A1  05年3月1日のノムヒョン韓国大統領の演説を生徒に読ませ、大統領宛の手紙を書かせました。先生も手紙を書いた、その一節が公人に対する「誹謗中傷」にあたる「不適切な文言」だと言うのです。
 [詳しくは「九段中事件はこうして捏造された?(戒告処分説明書)」を。]
「 侵略の正当化教科書として歴史偽造で有名な扶桑社の歴史教科書を「生徒たちに我が国に対する愛国心を持たせる一番良い教科書」などと公言して恥じない人たちですから。古賀都議その他の歴史偽造主義者達が「日本は一体どこを、いつ侵略したのかという、どこを、いつ、どの国を侵略したかということを具体的に一度聞いてみたい」(注:2004/10/26都議会文教委員会議事録)なら、「一度」韓国独立記念館や南京大虐殺記念館に行ってみたらいいのです。「具体」例が、「聞いて」みるまでもなく眼前に展開しています。」
 [詳しくは「ノムヒョン韓国大統領への手紙」を。]

Q2 「不適切な」文言とは、事実の問題?価値の問題?

A2  増田先生が引用した公人の公の場における発言と特定の出版社名は、虚偽・誇張・改変など一切加えていない事実記録そのものです。
 すると「不適切」なのは、それらを「歴史偽造」と評したことだとなりますが、「侵略戦争」を否定する言説は正しい歴史認識と言えるでしょうか。
 都教委は誤った歴史認識に基づいて増田先生を処分したとしか言いようがありません。間違っているのは先生ではなく、都教委の誤った歴史認識です。

Q3 すると歴史認識に関わる問題ではありませんか?

A3  その通りです。
 日本政府の公式見解は「植民地支配と侵略を歴史的事実として認識しお詫びする」というものです。戦後50年の村山声明、戦後60年の小泉声明で、内外にはっきり示しています。
 [詳しくは「教育関係資料」を]
 増田先生の文章のどこが「誹謗中傷」なのでしょうか。都教委は、日本政府の公式見解を理解する能力があるなら、事実に基づかない自分一人の思いこみの古賀発言をこそ、侵略されたアジア諸国に対する「誹謗中傷」として、訂正・撤回を迫るべきです。

Q4 誰が問題にしたの?

A4  一人の保護者です。
 平泉澄(戦前の皇国史観論者)の信奉者の保護者がいて、紙上討論のプリントを「偏向教育じゃないか」と都教委に持ち込みました。
 [詳しくは「生徒達の意見(紙上討論の中から)」]
 都教委の役人が一ヶ月かけて目を皿にして(きっと)、やっと見つけたのが先の一節だったわけです。(本当は「学習指導要領」違反などの名目で処分したかったのだとにらんでいます。しかし「偏向教育」と決めつけることには失敗したようです。憲法に忠実な授業なのだから当たり前ですが。)

Q5 その保護者の子どもや、生徒全体の反応はどうだったの?

A5  誰一人クレームなんかつけません。生徒達は「盧武鉉大統領の3・1節演説」を日本へのメッセージとして真剣に受け止め、真摯な手紙を書きました。
 [詳しくは「生徒達の意見(紙上討論の中から)」]
 この授業は生徒達にアジア諸国との正しい関係のあり方について気付かせるという素晴らしい成果を生んだと考えられます。
 クレームをつけた保護者の子どもも、ずっといい意見を書いてきていました。想像するに、子どもの意見が親の意に添わないことに気付き、プリントを出させて都教委に持ち込んだというようなことがあったのではないでしょうか。

Q6 不適切とされた文言は、生徒達に対して、訂正されたり、回収されたりしたの?

A6  ほったらかしです。
 教師を教壇から外すくらいの重大な教材の誤りであるなら、何よりも生徒に対して、間違いを教えて正しい知識を与えなければならないでしょう。生徒が「不適切」なプリントを持ったままでいいのですか。
 都教委は出来なかったのです。「誤り」を指摘すれば自らの歴史認識の「誤り」を公然化してしまうからです。また生徒たちから逆襲されるのが怖かったのです。
 都教委は、一番大切な「教育」の営みを放棄し、「不適切な文言」を増田先生を処分するためにだけ使ったのです。

Q7 どんな処分が出たの?

A7  2005年8月30日付で「戒告」処分されました。実害は昇級延伸3ヶ月です。
 [参考「新聞報道(九段中事件はこうして捏造された?)」もされました]。
 増田先生の次のような皮肉が本質を言い当てています。
 「古賀センセー、教育委員サマー、『日本は侵略なんかしたことがない』と歴史偽造をした都議がいるとか、扶桑社教科書を『歴史偽造教科書』なんて、事実を書いて生徒に教えた増田を処分してやりましたからね、誉めてくださいね」!?

Q8 それで決着が付いたの?

A8  とんでもなかった。
 2005年9月1日付で16日間の「研修発令通知書」が千代田区教委から出されて、新学期から突然教壇に立つことが出来なくなりました。研修内容は「学習指導の改善について他」としか記されていません。
 [参考「九段中事件はこうして捏造された?」(千代田区研修発令通知書)]。
 「不適切な文言」は訂正すれば済むことと思うのに、何を研修させるのでしょう。昇級延伸は本人の経済的損失ですが、勤務から外すと言うことは、授業や学校行事など周囲に影響を及ぼし何より教師にとって精神的苦痛であり、内容的には「戒告」以上の実質的な処分です。

Q9 研修はいつまで続いたの?

A9  約2週間のはずが、7ヶ月続くことになります。
 千代田区教委発令の研修の最終日に、2006年3月31日まで都教委の研修を受けろとの「研修発令通知書」が出されました。
 [参考「九段中事件はこうして捏造された?」(都教委研修発令通知書)]。
 この間19の研修課題に長文で中身の濃いレポートを出しましたが、内容がお気に召さなかったのでしょう。というより、最初から教壇に戻す気などなかったようです。
 九段中3年生の生徒達は、9月から突然社会科の授業を奪われたようなものです。途中からリリーフした先生にも大変な負担がかかったでしょう。これが、生徒のことを第一に考えた「教育的」な措置とはとても言えません。
 [参考「九段中事件はこうして捏造された?」(研修課題)]

Q10 都教委の研修の中ではどんなことが行われたの?

A10  歴史認識の改変と思想改造を迫られました。
 研修内容は発令書に「学習指導の改善について他」と記されていましたが、与えられた課題の大半は抽象的で無意味なものであり、最後の方でモロに教育内容に踏み込む課題が示されました。
 [参考「九段中事件はこうして捏造された?」(研修課題)]
 それに、研修所での扱いはまるで囚人扱いでした。部屋の入口に常時監視員がいて、トイレに行くにもゴミ捨てに行くにも一々断らねばならない、監視員は増田先生の行動を逐一メモに取っている。増田先生が人権侵害のラーゲリ(強制収容所)と称したのも頷けます。
 [参考「九段中事件はこうして捏造された?」(録音テープから)

Q11 増田先生はどう対応したの?

A11  「人権侵害」行為に対して
 即座に近藤精一研修センター所長に抗議文を提出しました(この行為が勤務時間内の『非違行為』として処分に累加されることになります)。少なくとも増田先生に対する対応だけは少しましになりましたが、闘いは最後まで続きました。
 [参考「九段中事件はこうして捏造された?」(抗議文)]
 「思想改造」強要に対して
 断固屈しませんでした。間違った『指導』と称するモノに対しては、一歩たりとも譲りませんでした。与えられた課題に対しては、すべて詳細なレポートで答えました。その中で、都教委の歴史認識や授業方針の誤りを明確に指摘しました。この論戦に都教委は答える術を持たなかったのです。
 [参考「九段中事件はこうして捏造された?」(課題レポート)]

Q12 つまり、思想改造を拒んだことが、研修の成果が上がらないとされたわけ?

A12  そうとしか言いようがありません。
 増田先生は研修期間中、勤務時間は厳密に守り、与えられたテーマに対しては、内容豊富なレポートでもって応え、研修をしっかり受講しました。手を抜いたりさぼったり拒否したことは全くありません。
 すると「研修の成果」とは、中味のことしかあり得ません。都教委は、「侵略戦争」はなかったという歴史認識を受け入れて、古賀都議と扶桑社に謝罪することを求めていたのでしょうか。それは戦前特高がやった転向強要と同じ思想統制そのものです。
 [参考「九段中事件はこうして捏造された?」(最終課題とレポート)]

Q13 これは、憲法や教育基本法に定められた基本的権利の重大な侵害じゃないの?

A13  教育基本法第10条「 教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負つて行われるべきものである。 教育行政は、この自覚のもとに、教育の目的を遂行するに必要な諸条件の整備確立を目標として行われなければならない。」が踏みにじられました。(=都教委の教育内容への介入)
 教育基本法第6条「2 法律に定める学校の教員は、全体の奉仕者であつて、自己の使命を自覚し、その職責の遂行に努めなければならない。このためには、教員の身分は、尊重され、その待遇の適正が、期せられなければならない。」も省みられません。(=思想改造を拒んだことによる分限免職)
 憲法第19条「思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。」(=命令研修の中での思想改造強要)
 憲法第23条「学問の自由は、これを保障する。」(=「侵略はなかった」などという明確に誤った歴史認識を正しいものとしての処分による押しつけ)
 そして、戦後日本の国是である「平和主義」の精神をないがしろにしています。
 「われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。」(日本国憲法前文より)
 「われらは、個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間の育成を期するとともに、普遍的にしてしかも個性豊かな文化の創造を目指す教育を普及徹底しなければならない。」(教育基本法前文より)

Q14 政治的な背景がありそうなにおいが?

A14  その通り。政治問題に巻き込まれてしまっています。
 逆襲三裁判(前出「対土屋都議名誉毀損裁判」「三悪都議共著俗悪本名誉毀損裁判」「対都教委個人情報漏洩弾劾裁判」)は、都議の政治生命や都教委幹部の地位を危うくするものだったので、彼らは増田先生をつけねらい続けていました。
 九段中保護者が紙上討論プリントにクレームを付けてくる半年ほど前に、古賀都議名で増田名指しで授業関連資料(年間授業計画・週案・授業プリントなど)の公開請求が執拗に行われました。この時は校長の毅然たる対応と良識ある千代田区議の口添えなどではねのけることが出来ました。
 その前後の都議会で、古賀都議は質問の機会があるたびに自分たちの都合のいいように作り上げた妄想ストーリーの「足立十六中平和教育介入事件」を取り上げ続けていました。
 『産経新聞』は、「事故調査」中の8月5日に、誰かが提供した紙上討論の一部を著作権法に違反して、著作権者の増田先生になんの断りもなく引用する記事を掲げ、8月30日に「戒告処分」が出るとここぞとばかりに、他社も校長も知らなかった次の研修命令まで事前に報ずるなど、完全に都教委と一体となった攻撃を展開しました。
 右翼都議・犯罪都教委・右翼偏向産経の「三位一体」攻撃は、彼らにとって危険な「憲法主義者」「正義派」増田先生を、東京の教育破壊の最大の障害物として排除しようとするものです。増田先生は、東京の教育破壊に一人立ちはだかるはめになっている?
 [参考「都議会議事録?」(古賀、伊沢)]

Q15 こんな理由の分限免職を許していいのですか?

A15  増田先生が、2006年3月31日、帰宅して郵便受けに入っていた都教委職員が突っ込んでいった封筒(切手が貼ってない)を開いたら「分限免職」の紙が入っていました
 理由は、長期研修にもかかわらず「公務員としての自覚や責任感が著しく欠如」し改まる見込みがない、というものです。
 勤務態度は真面目で、同僚からの信頼も厚く、生徒から慕われ、教育指導実績も上げている授業力抜群の先生が、憲法の精神も知らず、歴史の事実も学ばず、人権の意味も理解できていない木っ端役人共と比べて、どうして「公務員」としての適格性がないと言えるでしょう。全く懲戒権の濫用としか言いようがありません。
 増田先生はたった一人で都教委の弾圧と闘っていますが、これは全国の良心的な教師にかけられた攻撃に等しいものです。一人の弾圧を見過ごすなら、教育の国家統制はあっというまに全国に広がってしまうでしょう。
 教育の自由を確立し、子どもたちに堂々と正しい歴史を教えられるように、こんな弾圧は絶対に許すことは出来ません。右翼勢力の攻撃に屈するわけにはいきません。